小松過労自殺損害賠償請求裁判
小松過労自殺損害賠償請求訴訟とは・・・
2006年10月30日、静岡地方裁判所浜松支部はスズキ株式会社に対して、
金6,000万円の損害賠償の支払いを命じる判決を言い渡しました。
原告である小松充一さん、小松やゑ子さんの長男小松弘人さんは、
2002年4月15日、本社屋上から飛び降り自殺をしたのですが、
その原因が被告であるスズキ株式会社の安全配慮義務違反にあるとしたものでした。
小松弘人さんは、東北大学工学部を卒業後にスズキ株式会社に入社し、
四輪車のシートの設計、製造の業務に長年携わってきました。
しかし、2002年2月よりそれまでとは仕事内容の大きく異なる
四輪車体設計グループに配置転換となりました。
さらに、配転後から残業時間が増え、その時間は1ヶ月100時間を越え、
小松弘人さんの帰宅時間は、夜10時、11時が普通となっていました。
また、
前任部署で取り組んでいたコストダウン活動が、結果的にコストアップになったことが判明した事により、
精神的にも大きな打撃を受けていました。
それらの要因により、小松弘人さんは2002年3月下旬か4月上旬ごろに、
明らかに精神の異常を呈するようになり、うつ病にかかったと考えられました。
スズキ株式会社は小松弘人さんに対して、長時間労働の実態を知っていながらそれを放置して、
うつ病が発症した後も健康に対する配慮を何もしませんでした。
そうして、小松弘人さんは本社屋上から飛び降り自殺をするに至ったのです。
スズキ株式会社は、世間的にも有名になった『チャレンジ25』『チャレンジ30』という
合理化政策を次々に断行する事により業績を延ばし、
2006年3月期決算では2兆7465億円という空前の売上高を記録しました。
しかし、そのしわ寄せは労働者に及び、
長時間労働を強いて多くの労働者の健康をむしばんでいた事がこの裁判で証明されました。
労働者の犠牲を顧みない利益追求至上主義を進めるスズキ株式会社に対し、
この判決は経営姿勢を断罪し、反省を迫るものでした。
が、小松弘人さんの死はそのひとつの例に過ぎず、氷山の一角と言えます。
その後のスズキ株式会社の経営姿勢がどうなるのか?
真価はそこで問われるのです。
原告の母親である小松やゑ子さんは、
この判決を受けて次のような原稿を読み上げました。
息子が一生懸命働いた上に命迄で捨てた
その無念を、今日晴らす事が出来ました。
私たちの主張する安全配慮義務違反について法廷で勝利判決が出されましたので
満足しております。
大切な息子を生きて救えなかった事が生涯私の心の苦しみです。
二度と悲劇をくり返さないよう
今後働く者の命と安全が守られる職場であるように願っています。
最後に報道を通じて広く世間に知っていただきましたし
多くの皆様方の御支援と御協力があればこそ裁判勝利出来ました事を
深く心より感謝致します。
本当にありがとうございました。